メンタルヘルスのプライマリケアとは|予防から治療まで切れ目なく支える診療モデル|ベスリクリニック東京








Primary Care for Mental Health

メンタルヘルスに、プライマリケアの視点を。

職場のメンタル不調の大半は、精神科・心療内科の外来にたどり着く前の段階にあります。予防から治療まで、重症度に応じて切れ目なく支える診療モデルを、医療者の視点から整理しました。

監修:田中 奏多(心療内科医) | 対象読者:医療機関・産業保健関係者 | 公開日:2026-07-01

Introduction

「メンタルヘルスのプライマリケア」とは、こころの不調を、健康な状態から休職・治療までのひと続きの連続体としてとらえ、重症度に応じて担い手と手段を切り替えながら、誰も落ちこぼさずに支える考え方です。

専門医療の質を高めることと、地域・職場の裾野を支えることは、別の課題です。この記事では、受療行動の疫学、予防から治療までの7層モデル、そして産業医と臨床医の協働という視点から、その全体像を医療者向けに整理します。

01 ─ The Ecology of Care

専門医療は「氷山の一角」である

医療のかかり方を人口ベースで観察すると、症状を抱える人のうち高度専門医療に到達するのはごく一部にすぎません。福井次矢氏らが日本の一般住民を対象に示した「受療行動」のデータは、その構造を端的に表しています。

対象者
1,000
何らかの体調の異常
862
医師を受診
307
病院の外来を受診
88
一般病院に入院
7
大学病院に入院
0.3
1か月あたり・一般住民1,000人あたりの受療行動(Fukui T, et al. JMAJ 2005; 48: 163–167/調査期間 2003年10月)。検診・予防接種などを含めると、地域のかかりつけ機能はこのうち約900人をカバーするといわれます。
これは新しい発見ではありません。1961年の英国の研究でも、住民1,000人のうち約750人が1か月に病気やケガを訴え、医師の診察を受けたのは250人、高度な医療機関に紹介されたのはわずか5人でした。半世紀を経ても、国が違っても、医療ニーズの8〜9割は生活に身近な医療(プライマリ・ケア)で完結するという構造は変わっていません。

ここで視点を反転させると、モデルの意味がはっきりします。患者の側から見れば、生活に身近な日常的な医療こそが「川上」であり、入院や高度医療はその「川下」にあたります。予防・早期対応という上流を厚くするほど、下流にあたる専門医療・入院への流入は減っていく——この構図は、メンタルヘルスにもそのまま当てはまります。

メンタルヘルスでも、構造は同じ

強い症状で精神科・心療内科の外来にたどり着く人の背後には、診断名がつく手前で働きながら苦しんでいる人が桁違いに多く存在します。職場の文脈では、この裾野は次の連続体として現れます。

プレゼンティーズム

出勤はしているが、不眠・不安・意欲低下でパフォーマンスが落ちている段階。最も人数が多く、最も見えにくい。

アブセンティーズム

遅刻・欠勤・早退が増える段階。周囲が「異変」に気づき始める。

休職

就業が困難になり、診断書・治療・復職支援が必要になる段階。専門医療が中心的に関わる。

問題の所在

専門医療だけを強化しても、裾野の大多数には届かない。必要なのは「入口から出口まで」の設計。

02 ─ The Model

予防から治療まで、切れ目なく

健康な状態から休職・治療まで。関わる担い手も、セルフケアからラインケア、事業内・事業外スタッフへと段階的に移ります。層が深くなるほど専門性は高まり、対象人数は絞られていきます。

メンタルヘルスのプライマリケアの階層モデル図。7つの入れ子状の長方形が左上から右下へ階段状に重なり、外側(上層)ほど幅広く対象人数が多い予防的ケア、内側(下層)ほど狭く専門的で重症度の高い治療を表す。上から順に、健康経営・ビジネススキルとしての健康管理(ストレスやメンタルヘルスへの正しい知識と対応)、不調や異常の早期発見・早期対応(職場環境の整備、健康相談)、ストレスチェック(具体的なメンタルヘルスケアの実施)、ビジネスリワーク(社会復帰を目指す集団療法)、ビジネストラウマトレーニング(心理・社会療法)、睡眠生活指導(衛生指導)、薬物治療・TMS治療(再発予防と回復)。右側の縦軸は重症度を示し、上から一般社員・プレゼンティーズム・アブセンティーズム・休職へと進む。下部には各層の担い手が並び、会社全体(セルフケア)、部署全体(ラインケア)、産業医・産業保健師(事業内スタッフ)、リワーク・カウンセラー・保健師・主治医(事業外スタッフ)が対応する。予防から治療まで、担い手を切り替えながら切れ目なく支える構造を表した図。
メンタルヘルスのプライマリケア ─ 予防から治療まで、切れ目なく。上層ほど対象人数が多く予防的、下層ほど専門性が高く重症度が上がる。担い手はセルフケア/ラインケア/事業内スタッフ/事業外スタッフへと移行する。

もう一つの軸 ─ 産業医 × 臨床医で「立体」になる

この図は一枚の平面ですが、実際の現場ではもう一つの軸が加わって立体になります。産業保健は、企業や社会に対して予防・環境づくりという“上流”からアクションを起こせる領域です。一方で臨床医は、個人の診断・治療という“下流”を担います。同じ不調を、集団と個人という別の角度から見て受け渡す——この二つの視点が組み合わさって初めて、モデルは奥行きを持って機能します。

産業医・産業保健 ─ 上流/面で効く

企業・職場・社会に働きかけ、予防、環境調整、早期発見を担う。対象人数の多い上層(セルフケア〜ストレスチェック)を面でカバーする。

臨床医 ─ 下流/個で効く

個人の診断・治療・再発予防に責任を持つ。重症度の高い下層(リワーク〜薬物・TMS治療)を、一人ひとりに合わせて担う。

価値は「受け渡し」にある。休職や復職の局面で、産業保健と臨床が同じ情報を共有し、双方向にバトンを渡せること。上流だけでも下流だけでも取りこぼす裾野を、産業医と臨床医が一緒に見ることで「切れ目なく」が初めて成立します。

03 ─ Seven Layers

7つの層を、担い手ごとに

同じ「メンタルヘルス」でも、健康な段階と休職の段階では、必要な関わりも担い手もまったく異なります。各層がどこを守り、誰が担うのかを整理します。

Self care / 会社全体健康経営・ビジネススキルとしての健康管理ストレスやメンタルヘルスへの正しい知識を、働く人自身のスキルとして持つ層。ここが厚いほど、下の層への流入が減ります。
Line care / 部署全体不調や異常の早期発見・早期対応上司・同僚が変化に気づき、職場環境の整備や健康相談につなぐ層。プレゼンティーズムを見逃さないための最前線です。
産業医・産業保健師ストレスチェックと具体的ケアの実施事業内スタッフが、集団のスクリーニングと個別対応を担う層。医療と職場をつなぐ結節点になります。
リワークビジネスリワーク(社会復帰を目指す集団療法)休職からの復帰に向け、生活リズムと就労機能を段階的に取り戻す集団プログラム。事業外スタッフが担います。
カウンセラービジネストラウマトレーニング(心理・社会療法)職場でのつまずきや対人ストレスに、心理・社会的アプローチで介入する層。
保健師睡眠生活指導(衛生指導)不調の入口になりやすい睡眠を、生活習慣の側から立て直す層。薬に頼りきらない回復の土台になります。
主治医薬物治療・TMS治療重症度が高い段階で、薬物療法や薬に頼らないTMS治療を用い、再発予防と回復まで責任を持つ層。氷山の頂点に位置します。

04 ─ Why It Matters

なぜ、医療者がこの視点を持つべきか

専門医療の質を高めることと、地域・職場の裾野を支えることは、別の課題です。プライマリケアの視点は、その両方を一つの連続体としてつなぎ直します。

入口が広がる

「休職してから」ではなく、プレゼンティーズムの段階で関われる。早く関わるほど、重症化と離脱を防げます。

担い手が分業できる

すべてを主治医が抱えない。産業保健・心理・リワークと役割を分けることで、専門医療は本来の重症度に集中できます。

薬だけに依存しない

睡眠・生活・認知・TMSなど、薬物以外の選択肢を層として組み込める。再発予防の設計がしやすくなります。

出口まで見える

治療のゴールが「症状消失」ではなく「働ける状態への復帰」になる。復職支援まで含めて連続的に設計できます。

要点。メンタルヘルスのプライマリケアは、新しい治療法ではなく「重症度に担い手を対応させる設計思想」です。専門医療を否定するのではなく、氷山の裾野まで含めて誰が何を担うかを地図にすることで、専門医療がより効果的に働けるようにします。

薬を処方するだけでなく、「環境」も処方する

プライマリ・ケアが定着した英国では、対話を通じて生活や職場の背景を引き出し、必要に応じて地域資源や支援団体につなぐ「社会的処方(Social prescribing)」が実践されています。診断名をつけて薬を出すことがゴールではなく、その人のニーズや生活実態に沿って全人的・継続的に関わることが、本来の「川上」の医療とされます。

メンタルヘルスのプライマリケアも同じ発想に立ちます。薬物治療は数ある選択肢の一つにすぎず、睡眠・生活習慣の立て直し、職場環境の調整、リワークによる社会復帰までを射程に入れる。「環境・身体・認知」を分解して扱い、再発しない形で働ける状態まで伴走する——この連続性こそが、単発の受診では届かない価値を生みます。

05 ─ The Three Physicians

上医・中医・下医 ─ 「未病を治す」という発想

東洋医学には古くから、医のあり方を三段階でとらえる考え方があります。『黄帝内経』にみられる「上工(上医)は未病を治す」という思想や、「上医は国を医し、中医は人を医し、下医は病を医す」という言い回しです。病名がついてから治すことよりも、病になる前の環境や生活に働きかけることを上位とみなす——この価値観は、メンタルヘルスのプライマリケアとそのまま重なります。

上医 ─ 未病を治す

病が形になる前に、社会・企業・職場の環境へ働きかける。予防・健康経営・早期発見にあたり、産業保健が担う「上流」の領域です。

中医 ─ 人を医す

病名ではなく「その人」を、生活・仕事・こころごと診る。全人的・継続的に関わる、プライマリケアの中核にあたる視点です。

下医 ─ 已病を治す

すでに現れた症状・疾患を、専門的に治療する。薬物治療やTMS治療など、臨床医が担う「下流」の領域です。

下医を土台に、中医・上医を組み込む。これは下医(専門治療)を軽んじる話ではありません。確かな専門治療を土台にしながら、産業医が上医的な役割を、臨床医が下医的な役割を担い、その協働が「人を診る」中医を成立させます。予防から治療までを切れ目なくつなぐとは、この三つを一つの診療のなかに重ねることにほかなりません。

K.T

Supervised by ─ 心療内科医

田中 奏多(たなか かなた)

専門:心療内科・睡眠障害内科

「こころ・脳・身体」の観点から状態を分解し、診断書の発行だけでなく、再発しない形で社会に復帰し、自立して働ける未来を目指す診療を行っています。

17,000+

働く人の心の
診療実績

5,000+

TMS治療
(薬に頼らないうつ治療)

約20冊

著書・
監修書籍

20件+

メディア出演
・掲載・講演

FAQ

医療者からよくある質問

「メンタルヘルスのプライマリケア」は、産業保健と何が違うのですか?
産業保健は主に事業場の枠組みでの予防・早期対応を担いますが、この考え方はそこに治療(リワーク・心理療法・睡眠指導・薬物/TMS治療)までを一つの連続体として接続します。予防から治療・復職までを、担い手を切り替えながら切れ目なくつなぐ点が特徴です。
専門医療(主治医)の役割は小さくなるのですか?
むしろ逆です。裾野を他の層が支えることで、専門医療は本来の重症度に集中でき、薬物治療・TMS治療・再発予防といった役割を深められます。分業は専門性の希釈ではなく、専門性を効かせるための設計です。
「上医・中医・下医」とは何ですか?
東洋医学の古い考え方で、上医は未病(病になる前)を、中医は人(その人全体)を、下医は已病(すでに現れた病)を診る、という三段階です。この記事では、上医を予防・環境(産業保健)、中医を全人的なプライマリケア、下医を専門治療(臨床医)になぞらえ、三つを重ねる設計として紹介しています。
産業医と臨床医は、具体的にどう連携するのですか?
産業医・産業保健が上流(予防・環境調整・早期発見)を面で支え、臨床医が下流(診断・治療・再発予防)を個別に担います。休職・復職の局面で同じ情報を共有し、双方向にバトンを渡すことで、どちらか一方では取りこぼす裾野をカバーできます。

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メンタルヘルスのプライマリケアという設計思想に関心をお持ちの医療者・産業保健関係者の方へ。モデルの詳細資料の共有、連携、見学のご相談を承っています。

出典:Fukui T, et al. JMAJ 2005; 48: 163–167 / White KL, et al. The ecology of medical care.(英国, 1961)/ 三原岳「プライマリ・ケアで読み解く地域医療構想」(ニッセイ基礎研究所)/ 『黄帝内経』ほか「治未病」の思想 / 監修:田中 奏多