ニューノーマル(新常識)がもたらす「あいまいな喪失感」

新型コロナウイルスの流行により、「三密」や「ソーシャルディスタンス」といった言葉や行動様式が出来、スーパーや飲食店にも取り入れられ馴染みのあるものになりつつあります。非常事態宣言以前の様子と比べるとすっかり町の様子も変わってきました。しかし、「そろそろ今までの日常に戻りたい」と「マスクをしたままや距離をとったコミュニケーションが煩わしい」「こもっていた反動でぱーっと遊びに行きたい」と思う方もいるのではないでしょうか。

新しい生活様式を受け入れる違和感

ところが、厚生労働省からは「新しい生活様式」が発表され、ニュースなどで「ポストコロナ」「ウィズコロナ」という言葉を聞くようになったように、新型コロナウイルスの流行が落ち着いてからも社会や日常生活が変わると考えられています。
現に非常事態宣言が解除されたあとの地域でも三密やソーシャルディスタンスを配慮した生活を送っています。これがいつまで続くのか、今後どうなるかわからない中で社会活動を再開し、最初は帰ってくると思っていた日常がなかなか帰ってこない喪失感を何となく感じていくことになるかもしれません。既に、日常生活を送っていても理由がはっきりしない違和感や寂しさ、非日常感を感じている方もいるのではないでしょうか。

こういった喪失感を、「あいまいな喪失」と呼びます。主に失ったことがはっきりしない終わりのない喪失のことを言い、東日本大震災でご家族が行方不明になったりそれまでの故郷の様子を失ったりした方の喪失感に対しても使われている考え方です。

あいまいな喪失感とは

あいまいな喪失には2種類あり、1つ目は心理的には存在するけれど身体的には不在の「さよならのない別れ」で、震災状況下では町は残っているが避難が必要で帰れない状況や行方不明者との関係が当てはまりました。2つ目は身体的には存在するけれど心理的には不在の「別れのないさよなら」で、避難後に町に帰れたけれどそれまでの日常は戻ってこない状況を指します。ポストコロナの状況は「別れのないさよなら」に当てはまるでしょう。

あいまいな喪失感と向き合い受け入れる

あいまいな喪失の特徴として、喪失自体が不明確であることから悲嘆の過程に入りづらくなることが挙げられます。悲嘆の過程とは、喪失に対しての受け入れや、怒りを感じそれを経て適応するといった、通常の喪失のあとに体験する過程のことをいいます。
このコロナ禍では様々な形で今までの生活が変わり、誰でも悲しくなったりイライラしたり、孤独感を感じたりしておかしくない状況です。しかし、喪失のあいまいさから悲嘆の過程が止まることで、そういった感情を抱いている自分を否定的に捉えたり、もやもや感が何かはっきりわからず余計にストレスを感じたりしかねません。また、それは嫌な状況の原因を自分や他人など誰かのせいにしたくなることに繋がりやすくなります。

今後変わりゆく生活様式や働き方に適応していくことも大事ですが、それとは別に曖昧さを受け入れることや、誰かが悪いわけではなく状況がこうしているのだという認識も大切です。

                      公認心理師 泉本まり子